カナダへの旅立ち。とそれまでの話
あの日、酔っぱらったおじさんのカナダの高校にいかないか?という冗談としか思えないオファーに「行く!いきたい!」と即答してしばらくたった5月のある日。
おやじからおじさんがカナダ行きの準備を進めているという話を聞いた。
「まじだったんかぁ」とその時はあまり現実感なくそう呟いていた。
それからは、まずパスポートを取りに行ったりアメリカ領事館にビザを申請したり、全部おじさんが連れて行ってくれて私は何もしていない感がありなにか他人事のような感じだった記憶がある。おじさんのあちらにいる知り合いが学校との調整とかもしてくれたようだった。あちらの学校は9月から新学期ということもあり、8月中旬には旅立つということまで決まってしまった。
さて、何となく決めた高校とはいえ、いきなり入学から1か月で離れてしまうとなると少し仲良くなり始めた奴らや中学からの友人にどう言おうか悩んでしまった。あと実質1学期しかいないのに行く意味あるのか?とか色々悩んだ。あちらに行くことになにか希望に満ち溢れたというよりも深く考えると不安で押しつぶされそうになるのであえて無意識に考えないようにしていた気がする。あちらに降り立つその日までずっと夢の中のような気分だった。
で、だ。私は1学期も終えずに高校を中退することにした。なぜかというとなにかもう死にに行く前に好きなことをしたい。というような今考えるとそもそもなんでそんなだったら外国に行こうと思ったんだ?みたいなよくわからん思考になっていたw
おやじに、「高校やめて準備したいんだけど、、、英語とか、、、」とか言うとおやじは「そうか、じゃあそうしろ」と言う。まぁ昔からこんな感じで放任主義だったので別段驚かず。自主退学届けを学校に出し、晴れて高校生を(いったん)やめた。
友人には遊んでいるときにそれとなく「あ、そういえばもうすぐ高校やめてカナダの高校に行くことにしたんだ」ってさも大したことでもないかのように言った覚えがある。この辺は中二病な感じだなぁ。それ以外では特に誰にも言わなかった。
翌日からは、いろんな人にそのことを聞かれた「なんで?」とか「なにしにいくの?」とか正直後半はうっとおしかった。小学校の同級生が開いてくれた壮行会を除いては。
その時まで、学校の先生で尊敬できる人って正直あまりいなかった。ただ1人だけ小学校高学年の時に1年だけ担任してくれたI先生だけは特別だった。
I先生は新米男性教師でサラサラヘアーのイケメンだったが、その中身はとてもアツい奴だったw 怒るときは涙を流しながらぶん殴り、家庭が貧乏というか崩壊して登校できないやつがいるとみんなを集めてそいつの家によく遊びに行くというイベントをしょっちゅうしたり、先生の安アパートに男子だけ招かれエッチな本をみせてくれたり。他県の先生の実家に休みにお泊りで招いてくれたり。公私混同といういみではめちゃくちゃな人だった。最後の学期が終わった後で生徒全員と一部の家族も一緒にバーベキュー会を開き最後に涙ながらに生徒への感謝と生徒の未来は冒険に満ちているということをスピーチしたのを今でも覚えている。しかも駅の改札前で大声でだw
まぁとにかくそれまでの私の先生像とは全く違う人だった。授業でも「そういうもんだから深く考えないでいいから覚えろ」っていうのではなく「そもそもこれはなぜこうなのか?なぜこれを今学ぶことが必要なのか」をしつこいくらい言ってくる先生で思えばこのときから物事の見方や思考パターンが変わったと思うし、今でも基本的に思考パターンは変わっていない。ひょっとしたら私が外国に行く決断をした背景にはこの先生がいたのかもしれないと思う。
話をもどすw
で、その先生の担任の時の同窓生がどこかから私が外国に行くことを聞きつけたようで先生が「じゃあ壮行会をやろう」ということである巨大公園に集まってみんなで遊んで食べて私を送り出そう。という会を企画し同級生が準備をしてくれ、開催日のちょっと前に同じ高校にいた同窓生が私にその日に参加するように!と言ってきた。
壮行会当日、一部懐かしい面々もいて久しぶりに楽しい、なんというかうわべだけの付き合いじゃない楽しさがあった。I先生も相変わらずアツい奴だったしwでもなんかその日からあぁおれもうすぐ日本からいなくなるんだなぁ。と自覚したと思う。
それからは、昼間は英語を勉強した。いやしようとしたw が結局エレキギターを買ってギターばっかり弾いていたw
当時近所にいたおにいちゃんがヘビメタバンドをしており、よく大音量のステレオや練習音が聞こえてきていて私も洋楽ロックにはまっていたからだ。当時はおニャン子クラブというAKBの走りみたいのが男子学生の好きなものデフォという感じで中二病ひねくれマンの私はあえてそこは洋楽ロックだ!ということで当時透明で中に紙が挟める下敷きみなアイドル写真を入れていたところをVAN HALENとか挟んで悦に浸ってたw。
そうこう言ってる間に出国日が近づいてきた、おじさんがちょうどビジネスでアメリカとカナダをまわるのでついでに連れて行ってカナダのバンクーバーというところで落としてくれるということになっていた。
そして、その日が来た。近所のうさわずきのおばちゃんが話しかけてきた。このおばちゃんには私が外国に行くことは絶対に言わないようにしていたし、皆に言わないように言っていた。おばちゃんは私が高校にいってるはずなのに最近家にいることにとても興味をもって勝手に職業訓練学校に行きだしたと思い込んでいたからだ。
おばちゃんに「俺カナダの高校に行くんだ。今出発なんだ」と言ったときの驚いた顔は今でも忘れられないw
そして、私はおじさんと生まれて初めての飛行機しかも国際便に乗った、10時間かけてロスアンジェルスにいくのだ。
今日はここまでにします。おやすみなさい。
最初のブログ:人生の分岐点
私はいわゆるアラフィフのおじさんだ。毛髪もまだあるし、ジムに通って体脂肪率10%くらいをキープして気持ちは若いのに負けないつもりだが鏡で見る顔のほうれい線が現実を自分に突きつける。
まぁまぁ金も稼げるようになったし、結婚もしてるし子供ももうすぐ大学卒業だがかれこれ8年以上もいわゆる家庭内別居状態というやつだ。でも不思議と不幸感はなく自分の自由になる時間と財政で楽しく生きている。
なんでブログなんかをはじめようとしたかは何となく今までに積み重なってきたそれなりに面白いと思った体験をどこかに吐き出してみようかな?という軽い気持ちだ。
特にPVとかは気にしないで行こうと思うが、もし読者がついて要望があったりしたらそれについて深堀りしていこうと思う。
私はある理由から高校を退学し17歳から一人で北米に行き高校・大学と9年ほど外国で過ごしていた。そのころの話とか他の経験したことや思いをつづりたいと思う。
前置きが長くなったが、高校1年までは普通の田舎の男子だった。中一では県内最高の公立に行けた成績も中三のころにはすっかり中位に落ち、まぁ大多数の地元男子が行く一般的な普通科高校に通うちょい中二病気味の陰キャ男子だな。
ある日家に帰るとおじさんが遊びに来ていた、このおじさんは学生時代カナダで過ごし自分である特殊なものを扱う貿易事業を立ち上げてそれなりに成功している人だ。よく向こうの話をしてくれてよく海外のお土産もくれた。おじさんは昼間というのにおやじと飲んだくれている。
もう立派な中二病高1男子の私は、軽く挨拶だけして自分の部屋に向かおうとしたらおじさんが晩酌しろとうるさい。酔っぱらいの相手は嫌だがこのおじさんは昔から好きなのでお酒を注いでやることにした。継ぎながらおじさんがなんかボソッと言った「...行かないか?」よく聞こえなかったので「何?聞こえないよ」って言ったら「カナダに行かないか?知り合いがいるから公立高校は向こうは義務教育でタダだからいいぞ!」って言ってた。普通考えたらそんなの相手にしないんだがなぜだかそん時「行く!行きたい!」って言ったんだ。後から考えてもなんでそんな即答でそんなこと言ったかわからない。でもなにかその時そのまま下降気味の人生になりそうなのが嫌だったのかもしれない。酔っぱらいのたわごとだとあてにもしていなかったが、、、
あの日から急速に事態が進んでその4か月後に私はカナダにいた。そしてそこから色々な苦難と今振り返るとよかったなと思える経験が始まった。
今日はこのくらいにします。おやすみなさい。