最初のブログ:人生の分岐点

私はいわゆるアラフィフのおじさんだ。毛髪もまだあるし、ジムに通って体脂肪率10%くらいをキープして気持ちは若いのに負けないつもりだが鏡で見る顔のほうれい線が現実を自分に突きつける。

まぁまぁ金も稼げるようになったし、結婚もしてるし子供ももうすぐ大学卒業だがかれこれ8年以上もいわゆる家庭内別居状態というやつだ。でも不思議と不幸感はなく自分の自由になる時間と財政で楽しく生きている。

なんでブログなんかをはじめようとしたかは何となく今までに積み重なってきたそれなりに面白いと思った体験をどこかに吐き出してみようかな?という軽い気持ちだ。

特にPVとかは気にしないで行こうと思うが、もし読者がついて要望があったりしたらそれについて深堀りしていこうと思う。

私はある理由から高校を退学し17歳から一人で北米に行き高校・大学と9年ほど外国で過ごしていた。そのころの話とか他の経験したことや思いをつづりたいと思う。

前置きが長くなったが、高校1年までは普通の田舎の男子だった。中一では県内最高の公立に行けた成績も中三のころにはすっかり中位に落ち、まぁ大多数の地元男子が行く一般的な普通科高校に通うちょい中二病気味の陰キャ男子だな。

ある日家に帰るとおじさんが遊びに来ていた、このおじさんは学生時代カナダで過ごし自分である特殊なものを扱う貿易事業を立ち上げてそれなりに成功している人だ。よく向こうの話をしてくれてよく海外のお土産もくれた。おじさんは昼間というのにおやじと飲んだくれている。

もう立派な中二病高1男子の私は、軽く挨拶だけして自分の部屋に向かおうとしたらおじさんが晩酌しろとうるさい。酔っぱらいの相手は嫌だがこのおじさんは昔から好きなのでお酒を注いでやることにした。継ぎながらおじさんがなんかボソッと言った「...行かないか?」よく聞こえなかったので「何?聞こえないよ」って言ったら「カナダに行かないか?知り合いがいるから公立高校は向こうは義務教育でタダだからいいぞ!」って言ってた。普通考えたらそんなの相手にしないんだがなぜだかそん時「行く!行きたい!」って言ったんだ。後から考えてもなんでそんな即答でそんなこと言ったかわからない。でもなにかその時そのまま下降気味の人生になりそうなのが嫌だったのかもしれない。酔っぱらいのたわごとだとあてにもしていなかったが、、、

あの日から急速に事態が進んでその4か月後に私はカナダにいた。そしてそこから色々な苦難と今振り返るとよかったなと思える経験が始まった。

今日はこのくらいにします。おやすみなさい。